これまでの経緯
はじめまして.........と、ここでは人目もあるので淡々と書いていきたく思いますこうへいです。
今回「ツーリング倶楽部を作ろっか」に至る経緯には様々な事がありました。
私自身は原付き、中型と乗ってきた中、ずっとソロライダー。
そして大型免許を取りL0隼に。
ある日、バイク用品店の駐輪場で、私の隼を腕組みして見ているボウズ頭のヤカラっぽい人物がいて
「これ、くれや」とか言い出しそうと思っていると
「僕も同じの乗ってるんですよ!」と声掛けてきたのがユウキ君。
その時は連絡先も交換せず、そのままお別れ。
後日、隼イベントの「竹林祭り」というのが鳥取県で開催されるというので、ソロで行ってみる事に。
イベントも終盤に差し掛かったところで「来てはったんですね!」とユウキ君。
そのユウキ君と一緒にいたのがNativeさんというK8白の隼に乗った人。
2010年。
ここでの出会いが、バイクに乗るという事に新たな楽しさを感じるようになったキッカケでした。
イベントの帰りは3台でしたが、Nativeさんはとにかく飛ばしまくり、峠道でたまに見掛ける「曲がりきれない時に飛び込む減速ゾーン」に、バイクで飛び込んで度肝を抜いてくれました。
そして私は皆と分かれ高速降りてすぐのところで、走行中に車に追突され転倒、隼は滑走してコンクリートブロックに激突。
転倒した際に曲がったハンドルとカウルに手首を挟まれ、激突まで逃げられなかったのでダメージも大きく、救急車で病院に運ばれ入院。
隼はタンク下のメインフレームが左右とも裂けてちぎれてしまい廃車。
それから暫く。
また同じ隼を購入。
ユウキ君とNativeさんの連絡先は交換していたので連絡すると
「慣らし行きましょっか」
気ままなソロライダーも楽しかったのですが、ワイワイ一緒に走る人がいるのは、こんなに楽しいのかと。
そんな中、個人ブログでバイクの事を書くようになり(分けて書くのが面倒くさくなり今では内容ゴチャゴチャですが.........)、たまたま読んだ人から「ツーリング参加したい!」と声が掛かる事が。
輪が広がり、イベントやツーリングに行く事が増えてきた時、娘が緊急手術との連絡を受け、夜中に病院へ駆け付け、その帰り。
嫁は付き添い、私は家に戻って必要なもの持ってくるとなった中、頭真っ白というか焦っていたと思います。
凍結路面に気付かず転倒。
隼はまたもや一発廃車、私自身もまともに体が動くまで1年ほど掛かるケガを。
事故から1年半ほど経ち、ZX-14Rで復活。
以前より更に仲間が増え、色んなところへ出掛け楽しく過ごしている時、Nativeさんが自ら命を絶ったとの連絡が妹さんから。
乗り物を趣味とする以上、事故で亡くなるならまだ納得ができますが、仕事上の事だと理由を聞かされても「なんで?なんで?」と、気づいてあげられなかった事が悔しくて、頭の中はそればかり繰り返していました。
それから少し経って、今度はR1乗りだった人が事故で亡くなったとの報せが。
Nativeさんの仏壇に、一緒に線香上げに行った仲だっただけに、短い期間に2人失い、ひたすら虚無感。
そんな事からバイクに乗ると「あの人がいたらこうやったかな?」みたいに考えてしまう事が多くなり、ちょうど個人タクシーの申請条件である「直近5年を無事故無違反(地理試験免除の場合)」を満たす為、申請1年前に一旦バイクを降りようと思いました。
約3年後、無事に申請も通り認可を受け、開業から稼動のバタバタも落ち着いたところで、また復帰したいなと。
バイクは16歳から乗ってきましたが、思い返すとフルカウルでセパハンのものしか乗った事がなく
路線を変えてKAWASAKIのZH2にしようかと思っていましたが、ZX-14Rがファイナルになると聞き
大排気量のトルクで走らせるバイクにまた乗りたいなと、ZX-14Rを購入。
オーリンズサスにブレンボブレーキ、その他、前の14Rより高価なパーツが標準装備されていますが、その差はあまりわかりません.........................
Nativeさんの墓前で「また乗る事になったんよ」の報告もし、皆に復帰も喜んでもらえ、また戻れた事が嬉しく今に至ります。
どうせ楽しい時間を共有するなら、倶楽部みたいな形にするのもいいんやない?ぐらいのノリでですが、よろしくお願い致します。


今回「ツーリング倶楽部を作ろっか」に至る経緯には様々な事がありました。
私自身は原付き、中型と乗ってきた中、ずっとソロライダー。
そして大型免許を取りL0隼に。
ある日、バイク用品店の駐輪場で、私の隼を腕組みして見ているボウズ頭のヤカラっぽい人物がいて
「これ、くれや」とか言い出しそうと思っていると
「僕も同じの乗ってるんですよ!」と声掛けてきたのがユウキ君。
その時は連絡先も交換せず、そのままお別れ。
後日、隼イベントの「竹林祭り」というのが鳥取県で開催されるというので、ソロで行ってみる事に。
イベントも終盤に差し掛かったところで「来てはったんですね!」とユウキ君。
そのユウキ君と一緒にいたのがNativeさんというK8白の隼に乗った人。
2010年。
ここでの出会いが、バイクに乗るという事に新たな楽しさを感じるようになったキッカケでした。
イベントの帰りは3台でしたが、Nativeさんはとにかく飛ばしまくり、峠道でたまに見掛ける「曲がりきれない時に飛び込む減速ゾーン」に、バイクで飛び込んで度肝を抜いてくれました。
そして私は皆と分かれ高速降りてすぐのところで、走行中に車に追突され転倒、隼は滑走してコンクリートブロックに激突。
転倒した際に曲がったハンドルとカウルに手首を挟まれ、激突まで逃げられなかったのでダメージも大きく、救急車で病院に運ばれ入院。
隼はタンク下のメインフレームが左右とも裂けてちぎれてしまい廃車。
それから暫く。
また同じ隼を購入。
ユウキ君とNativeさんの連絡先は交換していたので連絡すると
「慣らし行きましょっか」
気ままなソロライダーも楽しかったのですが、ワイワイ一緒に走る人がいるのは、こんなに楽しいのかと。
そんな中、個人ブログでバイクの事を書くようになり(分けて書くのが面倒くさくなり今では内容ゴチャゴチャですが.........)、たまたま読んだ人から「ツーリング参加したい!」と声が掛かる事が。
輪が広がり、イベントやツーリングに行く事が増えてきた時、娘が緊急手術との連絡を受け、夜中に病院へ駆け付け、その帰り。
嫁は付き添い、私は家に戻って必要なもの持ってくるとなった中、頭真っ白というか焦っていたと思います。
凍結路面に気付かず転倒。
隼はまたもや一発廃車、私自身もまともに体が動くまで1年ほど掛かるケガを。
事故から1年半ほど経ち、ZX-14Rで復活。
以前より更に仲間が増え、色んなところへ出掛け楽しく過ごしている時、Nativeさんが自ら命を絶ったとの連絡が妹さんから。
乗り物を趣味とする以上、事故で亡くなるならまだ納得ができますが、仕事上の事だと理由を聞かされても「なんで?なんで?」と、気づいてあげられなかった事が悔しくて、頭の中はそればかり繰り返していました。
それから少し経って、今度はR1乗りだった人が事故で亡くなったとの報せが。
Nativeさんの仏壇に、一緒に線香上げに行った仲だっただけに、短い期間に2人失い、ひたすら虚無感。
そんな事からバイクに乗ると「あの人がいたらこうやったかな?」みたいに考えてしまう事が多くなり、ちょうど個人タクシーの申請条件である「直近5年を無事故無違反(地理試験免除の場合)」を満たす為、申請1年前に一旦バイクを降りようと思いました。
約3年後、無事に申請も通り認可を受け、開業から稼動のバタバタも落ち着いたところで、また復帰したいなと。
バイクは16歳から乗ってきましたが、思い返すとフルカウルでセパハンのものしか乗った事がなく
路線を変えてKAWASAKIのZH2にしようかと思っていましたが、ZX-14Rがファイナルになると聞き
大排気量のトルクで走らせるバイクにまた乗りたいなと、ZX-14Rを購入。
オーリンズサスにブレンボブレーキ、その他、前の14Rより高価なパーツが標準装備されていますが、その差はあまりわかりません.........................
Nativeさんの墓前で「また乗る事になったんよ」の報告もし、皆に復帰も喜んでもらえ、また戻れた事が嬉しく今に至ります。
どうせ楽しい時間を共有するなら、倶楽部みたいな形にするのもいいんやない?ぐらいのノリでですが、よろしくお願い致します。


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